シン・エヴァ感想:ガキみたいなこと言ってないで卒業しろ
人生の半分以上の期間で見てきたエヴァンゲリオンの完結編。
なんにも考えずに見たら、娯楽消費という人生におけるただの通過点になってしまいそうだったので、真剣に観ました。
人類補完計画の行方などといった物語の中に立って見るストーリーよりも、監督が苦悩の末、どのようにして大規模なスケールの話を収めるのかということに興味がありました。
一旦は他人の賛否には触れず、自分が観てどう思うかを確かめに行ってほしいです。
ここでは〇〇説、のような考察には関わらない感想です。
伊吹マヤの「これだから若い男は」
若い頃はエヴァが使徒を捕食するのを見て吐き気を催していたようないちオペレーターが、部下を引き連れて立派に任務を遂行するシーン。
ここの若い男たちもきっと賢くて優秀なんでしょう。そして計算したうえで「書き込みが間に合わない」と正論を言うけれど、マヤは「弱音を吐くな」と活を入れます。
私達の知らない14年の間にいくつもの修羅場をくぐり抜けてきたであろうベテランの台詞ですが、若い男目線からは「オバン、根性論で言われても…」って思われてるんじゃないかと心配になりました。
結果的に間に合ったわけですから、豊富な経験から「なんとかなるし、なんとかするしかない」というマヤの考える通りやり遂げたということで、どちらかというと若い男ポジション程の経験値しかない自分からすると、身の引き締まるシーンでした。
世の中にはそういった上司と部下がたくさんいる。
アスカが寝返りをうつ描写
アスカは睡眠を取る必要のない身体なので、リリンに合わせて夜は眠るフリをしているというシーン。
寝返りの描写が秀逸でした。
寝返りをうつときって、だだ棒が転がるみたいに向きを変えるわけではないですよね。
上半身をよじってから、お尻を少し上げて上半身の向きに合わせる。その人間の細かな動きの描写が丁寧で、眠れないときってこうやってるよなぁ、といった心当たりと合わせて、ずっと眠れないアスカの不快感に感情移入できたのだと思います。
寝返りだけでなく全ての作画において、指の力の入り方、体重のかかり方などもリアルで、一流だと感じます。
「また会えるよ」「そうだね」
シンジが爆薬つきの牢屋でカヲルくんの言葉を回想するシーン。
観たときは唐突で、何をもって「そうだね」とカヲルくんに会えることを予測したのか分からなかったのですが、思い返すと予測というよりも決心でした。
アスカが殴りたかった理由も含めて、シンジは村でずっと考えていました。親父と向き合えという友人の言葉もありました。
その結論が、肉体が死ぬ(=カヲルくんと会える)としても、自分の行動にけじめをつけようという決心であり、あの無機質で自分の命を他人に握られている状態が、Qでの言葉を思い出させたのかなと。
「カヲルくんが何を言っているのかわからないよ」からの理解もありますか。違いますか。
ミサトさんの「贖罪は自分の意志で」と言った通り、自分で決心してからの行動で周りを納得させました。全体を通して人の成長がテーマになっているようでしたが、最も飛躍的な成長を見せたのはシンジでしたね。
ミサトさんの言葉はシンジへの情と、自身の罪の意識もありそうですが、ちゃんと信じていたのだと思うと、ずっと変わりなくて、かなりアツいところです。
アスカが髪を切るシーン
ここも、今切らなあかんか?というやや唐突なシーンなのが意味深でした。
白装束なんて言っていたので、その前に身なりを整えているといえばそうですが。
「髪だけが伸びる」と言うシーンは、シンジを好きになったことは、プログラムによるものだけではなく、人間の心でちゃんと好きになった部分もある、という表現なのかなと感じました。
アスカは「好意」が自分にプログラムされていることを知っているので、プログラムによるだけの感情なら「先に大人になっちゃった」にも違和感を覚えます。
ゲンドウの理解
駅のホームで泣く幼いシンジと別れた過去、もしシンジを抱きしめていたら、と考え「ユイ、ここにいたのか」と理解するシーン。
ゲンドウの人間らしい人間性に触れたのはシンシリーズで初めてで、結局はこういったシンプルなオチになるのか、と思いました。悪い意味ではないです。
ラストの駅のシーン
大人になったスーツ姿のシンジと、どこにでもいそうなフェミニンな服装のマリが階段を駆け上がるシーンは、見るに堪えないものがありました。(悪い意味ではないです。)
もう完全にエヴァは完結したし、続きはないし、シンジだって社会に適応した大人になっているんだから、みんなも大人になろうな、と言われている感じがして、少しさみしい気持ちになりました。
薄い身体を猫背にして、後頭部が丸くて、襟足の毛がなんとなく情けない感じのシンジが成長していくストーリーはもう見られないんだなと。
ラストシーン以外にも、現実世界に生きる私達に共感しやすい部分が沢山ありました。
冒頭のマヤと部下、父親が妻子に向ける感情。
ミサトさんの妊娠出産なんて、同級生が知らないうちに結婚して子どもまで生んでいたのを、同窓会で初めて知ったときと似た感覚になりました。
なんとなく、おいてけぼりを食らったような、きっと多くの人にとってありふれた感覚です。
子を持つ親にとっては、ミサトさんに感情移入することもあるでしょう。
そこは今までSFとして観てきたエヴァでは、なかった感覚でした。
クリエイターとして
全体的に4DXを意識した動きのCGも含め、全体的に莫大な人手と金をかけて作られているのが見てとれます。
エヴァ作品がアニメ革命を起こしたとか、爆発的なアニメブームのきっかけとなったとか言われたりするほど世界が注目する作品の完結話。
それを途中作り直しをしながらも、絶対に本人が納得するものを、多くの人を動かして完成させなければならないというプレッシャーたるや……想像するだけでも胃が痛みます。
私もクリエイターの端くれですが、ボツをくらっていちいち落ち込む弱小クリエイターからすると敬意の念を抱かずにはいられない、この差って…と途中のCGを見ながら時折憂鬱になりました。
これで納得していないと言われるとやりきれないですが。
個人的感想としては、クリエイター目線になってしまいますが、こんな大仕事をよくやり遂げ、届けてくださったなと感服しています。
お話に関しても、どのキャラクターも好きになって終われましたし、Qを観た後の「ひたすらに理不尽で可愛そう」というわだかまりもなく、爽やかな気持ちで卒業できました。
蛇足:
オチビサンの絵本が出てきたときは笑ってしまいました。監督の奥さんである安野モヨコの作品で、マクロの事象に目を向けた心温まるお話。モヨコさんも監督の大ファンだそうで。
そっくりさんが破の綾波と同じ制服を着ているのをシンジが観たら、また追い打ちをかけるのではないかとヒヤヒヤしましたが、「名前考えてみたけど、綾波は綾波だよ」と言っていたし、大丈夫かもしれない。
壮大な親子喧嘩をするシーンの特撮風CG表現は、絶妙な塩梅の安っぽさで、巧い。最先端のCGも、少し古いCGも知っている今、リアルタイムで観られたことがラッキーです。
ラストシーンは山口県の宇部駅だそうです。
監督の出身地が宇部市ですね。(wikipedia調べ)